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神戸ルミナリエ

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JAPON 日本

Kobe Luminarie 2011

約2週間ほど前のことですが、諸用のついでに関西へ。
家族揃っては2年ぶりでしょうか?
この時期限定のルミナリエを見てきました。
相方とぱぴはルミナリエを見るのは初めて。

1995年1月17日発生の阪神淡路大震災犠牲者への鎮魂と復興への願いを込め、同年12月にスタートしたというルミナリエも今年で17回め。本場イタリアから毎年とどく光の芸術は、ハタチ直前に貧乏卒業旅行で訪れたイタリアでみたカーニバル直前の街の電飾を思い起こし、うきうき、わくわくしてきます。

神戸ルミナリエは第一回めと、最初の頃に何度か足を運びましたが、アルゼンチン帰国後の2001年以降は一度も訪れず久々。こんなに警備が厳重でモノモノしいとはつゆ知らず、早くから駆けつける人々の列を眺めつつ、のんびり中古レコードショップを巡り、南京町(中華街)で中華料理を食べてから向かったのでした。


結局多くの来場者でぱぴ連れは断念。
長い行列を1時間くらいかけて並んで歩き、ようやくルミナリエの真下にたどり着きました。
(やった~!とカメラを取り出すや、係員さんの「危険ですから立ち止まらずに進んで下さい」「写真撮影は危険です」の声。みんな勿論写真撮影したいのだけど・・・端に寄って邪魔にならない場所から撮影してみました。ふだんライブ撮影で暗い撮影に慣れてたので割と思ったとおりに撮れました。)

w-clickで画像は拡大表示されます。
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神戸ルミナリエに少しずつ近づく道すがら、今年は東日本大震災の犠牲者への鎮魂と東北の地復興への祈りを込めた特別なルミナリエの年だということがだんだんと実感されてきました。

湿っぽくて申し訳ないのですが、1つだけ。

神戸の街、なかでも三宮界隈を歩くと、未だに17年前の当時の様子を思い出します。
奇跡的な経緯で比較的被害が少なかった私、震災直後「手が足りない」と元職場からアルバイト要請を受け、西神戸とポートアイランドへしばらく通勤し・・・。
人工島ポートアイランドとを結ぶモノレール=ポートライナーが不通だったので代替バスに乗るため、花時計の周りを何周も毎日数時間並んだ事、並ぶのにうんざりし思い切って歩いて行ったら、ポートアイランド内は液状化の泥の海で、登山靴でもぬかるんで足を取られ歩けない状況に遭遇し反省した事、花時計の横にある神戸市役所の新旧社屋と渡り廊下を眺め犠牲者を悼みつつ、時々起こる余震に不安を感じたこと等が頭に浮かびます。
こういう記憶が蘇るのは、遠因ではあるものの地震をきっかけに神戸の街から離れた私の中で、そこから時間が止まっているせいかもしれません。

ルミナリエ脇のローソンは立派になってました。周囲のアーケードも特に異国情緒漂うおしゃれな界隈に。
東遊園地に到着すると、円形の夜空に輝く光の芸術を見上げるたくさんの幸せな笑顔がありました。
厳しい状況から復興し平和が戻った神戸の街の華やいだ姿。
思わず場違いにウルウルしてました。

東遊園地敷地内に2000年1月に完成したという「慰霊と復興のモニュメント」にも今回初めて入りました。
(ふだんは夕方17時で閉館だそうです。)
ルミナリエの光を眺めつつ、地下回廊に足をすすめ、薄暗いくるくるカーブする壁に記載の寄付をされた個人・団体の名前を眺めつつ奥に進むと千羽鶴が供えられた祭壇と、阪神淡路大震災犠牲者のお名前が一人一人刻まれたプレートが壁一面にありました。
17年前震災の犠牲者となった友のプレートを探し、親子で並ぶそのお名前をさすって手を合わせ、懐かしい友に久々直接出会えた時のような気持ちがして「また会いに来るね」と約束。

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